容疑者を韓国籍と報道しただけで激昂する田崎史郎の本   

2014年 01月 24日

田崎史郎は、容疑者を韓国籍と報道した新聞社を批判している。

生活保護不正「韓国籍と見出しに取るな」 時事通信社解説委員の発言巡り議論
http://now2chblog.blog55.fc2.com/blog-entry-12111.html

在日朝鮮人が犯罪しても通名で報道すればいいと語っている。おかしな話である。

その田崎史郎だが、学生時代、ろくに勉強もせず、学生運動ばかりしていたようである。
Wikipediaの情報によれば、テロリスト的活動家だったことがわかる。

「政治家失格―なぜ日本の政治はダメなのか」という本などを書いているそうだが、政治家を批判する以前に、このような経歴を持った人が、通信社の解説委員にふさわしいのであろうか?
私は、不適格だと思う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B4%8E%E5%8F%B2%E9%83%8E
田崎 史郎(たざき しろう 1950年6月22日 - )は、日本の政治評論家。時事通信社解説委員。

略歴

福井県坂井郡三国町(現坂井市)に生まれる。

福井県立藤島高等学校卒業、中央大学法学部法律学科へ入学する。大学2年時に三里塚闘争へ参加して、凶器準備集合罪で逮捕のうえ13日間留置[1]される。

1973年に大学卒業後、時事通信社へ入社し経済部を経て、1975年に浦和支局への転勤するが、少数派の労働組合に所属していたことを理由にした左遷であり不当労働行為であるとして時事通信を提訴し、3年3ヶ月後に政治部に異動することで同社と和解する。1979年に政治部に配属されて大平正芳総理大臣の番記者[2]になる。

新自由クラブの担当や外務省記者クラブを経て、1982年年4月から田中派を担当[3]して以来、田中派、竹下派、橋本派を中心に取材する。

政治取材を続けながら時事通信社の整理部に8年勤務し、整理部長、編集局総務、解説委員を経て、2006年から時事通信社の解説委員長を務めながら、テレビ朝日『報道ステーション』、フジテレビ『ハッケン!!』『サキヨミLIVE』などに出演して政治解説[4]する。2008年に政治をテーマにしたテレビドラマ『CHANGE』の監修を担当[5]する。

2010年6月30日付で時事通信社を定年退職し、引き続き解説委員として勤務[6]する。
「小沢一郎との訣別」について

田中派の担当になって以来、小沢一郎とは毎晩のように呑む間柄だったが[7]、1992年1月以来小沢から一方的に遠ざけられて、取材できない状態になる[8]。1993年に成立した細川内閣で最大の実力者となった小沢についてマスメディアが伝える小沢像は虚像であり、自分の知っている小沢の実像を伝えたいとの思いから、田崎は『文藝春秋』1994年10月号に「小沢一郎との訣別」と題した記事を発表した[9]。

1982年の自民党総裁選挙の際に田中派が中曽根康弘を支持した際の「担ぐ御輿は軽くてパーがいい」や小沢が自民党幹事長時代に海部俊樹総理を評した「海部は本当に馬鹿だな。宇野の方がよっぽどましだ」など、小沢一郎のこれまでの数々のオフレコ発言を明かして[10]話題になる[11][12][13]。小沢サイドからは何の反応もなかったが、日本新聞協会は時事通信にオフレコを破ったことに事情説明を求めてきた[14]。時事通信はオフレコを破った田崎に対して、2週間の出勤停止とその分の給料の減額と翌年のボーナスを減額する処分を下した[15]。

田崎は、オフレコ破りをすることで、相手に取材出来なくなるなら、オフレコ破りはしない方がいいというスタンスであったが[16]、既に小沢からは何の通告もなく一方的に無視をされて事実上の取材拒否となっており、オフレコ破りに何の障害もない状態であった。なお、小沢が田崎を取材拒否するようになったのは、田崎の辣言を小沢が嫌ったため、小沢の政敵となった梶山静六と田崎が親しくしていたため、などの推測を田崎は行っている[17]。
著書

『竹下派死闘の七十日』(2000年) ISBN 978-4167174026
『梶山静六―死に顔に笑みをたたえて』(2004年) ISBN 978-4062125925
田崎史郎、2009、『政治家失格―なぜ日本の政治はダメなのか』、文藝春秋〈文春新書〉 ISBN 978-4166606870
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by seikouudokunohito | 2014-01-24 07:27 | 読書案内 | Comments(0)

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