私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行   

2011年 09月 25日

私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行/ 吉田清治/三一書房/ 1983

この人の本には一切係わらない方がいいということです。
そして、こんな本がまだ販売されていることに私は、驚きを禁じ得ない。
この出版社の他の本もそうなのかと思わざるを得ないのだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%B8%85%E6%B2%BB_(%E6%96%87%E7%AD%86%E5%AE%B6)
吉田 清治(よしだ せいじ、1913年10月15日 - )は福岡県(山口県とも)出身の元日本陸軍軍人であり作家。強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長。清治は筆名で、本名は吉田雄兎。

概説1947年、下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補。129票を獲得したが落選したという経歴を持つ。

1977年、『朝鮮人慰安婦と日本人』を新人物往来社から出版。その中で、第二次世界大戦中に日本軍人が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にしたなどと証言。1982年には第一次樺太朝鮮人裁判で朝鮮人の奴隷狩りを証言。1983年、いわゆる従軍慰安婦問題の発端となった『私の戦争犯罪』を上梓した。その後も朝日新聞・しんぶん赤旗などで自身の「戦争犯罪」の告白を展開。韓国にも赴き、講演と謝罪を繰り返した。このような告白、謝罪を行ったのは吉田のみであった為、当時、吉田は「勇気ある唯一人の告白者」とされていた。

1989年8月14日、韓国済州島の地元紙『済州新聞』が取材結果をもとに「『私の戦争犯罪』は捏造」と報じた[1]。1992年3月には秦郁彦が、吉田の「慰安婦狩りを行った」という証言について済州島で現地調査を行ったが明確な裏付けは取れなかった。当時を知る島民は「この島で人間狩りが起こったら大騒ぎになって誰でも知っているはずだが、そんな話は聞いたことすらない」との証言をした。同書は韓国語訳され現地の『済州新聞』で住民の証言をもとに論評がなされているが、「あり得ないこと」「(このような作り話の本は)道徳性の欠如した本で、軽薄な金儲け主義的」と一蹴されている。秦は、同記事の執筆者である許栄善と面談の折、許から「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と聞かれ答えに窮したという(秦は『正論』に調査結果を公表[2]、『昭和史の謎を追う』(文藝春秋1993年3月)に掲載し、菊池寛賞を受賞した)。

また、上杉聰は吉見義明・中央大学教授とともに吉田と面談した結果、「秦の論拠だけで吉田の証言を嘘と断定することはできないが、歴史証言としては採用できない」としている[3]。

1996年5月29日付の週刊新潮インタビューで、吉田は「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」と『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』中の記述において、「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と認めたが、「人間狩りをした」という主張は変わっていない。しかし、現実の問題として吉田がその著書中から事実と主張する部分と創作の部分とを分離せず、検証が不可能であるために、2007年現在では吉田証言が強制連行の存否において信頼できる証拠として採用されることは、ほぼなくなった[1]。

1998年、吉田は秦との電話会見に応じ「人権屋に利用された私が悪かった」と反省の弁をほのめかしていた[4]。秦はその後の調査結果をまとめ、公刊した[5]。

主な著作『朝鮮人慰安婦と日本人 -- 元下関労報動員部長の手記』 新人物往来社 1977年3月
『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』 三一書房 1983年7月
吉田証言の実地調査を行なった人物秦郁彦
許栄善(済州新聞記者) - 「日帝「済州島で慰安婦205名徴発」、住民達は「ねつ造」、日本の恥知らずの商魂に憤慨」という記事を執筆。
尹貞玉
金奉玉(済州島の郷土史家)−吉田が証言した済州島内の施設がいずれもまったく根拠のないことを実地調査で明らかにした。
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by seikouudokunohito | 2011-09-25 06:30 | 書評 歴史 | Comments(0)

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