週刊金曜日はプロパガンダ雑誌   

2012年 03月 20日

これまでの経緯、編集者の氏名からこの雑誌は、左翼のプロパガンダ雑誌です。
少なくともこの雑誌の編集者の本は疑ってかかる用心さが必要です。

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週刊金曜日 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索 『週刊金曜日』(しゅうかん きんようび)は、日本の出版社株式会社金曜日から発行されている政治・社会・環境問題を主に扱う週刊誌である。日本国立国会図書館では『金曜日』の題名で登録されている。

講談社発行の写真週刊誌『週刊フライデー』(フライデーは英語で金曜日)および、TBSで放送していたテレビ番組『欽ちゃんの週刊欽曜日』とは全く関係ない。後者はよく当雑誌のパロディから題名をつけたのではないかという都市伝説もあるが、実際のところは、後述の沿革にもあるように、当雑誌は1993年創刊なので、パロディではない。

目次 [非表示]
1 概説
2 内容・論調
3 販売方法
4 その他
4.1 集会内容に対する問題
4.2 元編集者による「暴露」記事
4.3 外務省美術品紛失疑惑記事
5 沿革
6 編集委員
6.1 現任編集委員
6.2 過去の編集委員
7 歴代編集長
8 関連項目
9 脚注
10 外部リンク


概説 [編集]「スポンサーや広告主に阿らずに市民の立場から主張できるジャーナリズム、権力を監視し物申せるジャーナリズム」を目指し、また、休刊した『朝日ジャーナル』の思潮を受け継ぐものとして[1]創刊。

「日本で唯一の、タブーなき硬派な総合週刊誌」を標榜しており、反戦・人権・環境問題など市民運動・市民活動の支援、体制批判を主に扱っている。最近の特集としては、テレビ、新聞業界のタブーに迫った「電通の正体」、メーカータブーに迫る「トヨタの正体」など。憲法改正論議では、一貫して護憲の立場を取っている。

誌名の名付け親は久野収。戦前(1936年 - 1937年)に久野と中井正一らが発行した週刊『土曜日』と、フランス人民戦線の雑誌『Vendredi(金曜日)』にちなむ[2]。

2010年現在の編集長は、平井康嗣。

投書欄のスペースが広いのも特徴で、毎号8通前後の投書が掲載されている(読者が出資して創刊したという経緯もあり、創刊からしばらくは投書欄が雑誌の巻頭にあった)。他に、市民運動や読者会(読んだ感想を話し合う)の紹介などを投稿できるコーナーもある。

毎号、全体のおよそ3分の1が特集記事や単発記事で、残りの誌面は連載記事や投書欄にあてられている。ただし、掲載される連載記事の種類は多いが、多くは毎号連載されるわけではなく(不定期連載・隔週連載・月1回連載)、複数の執筆者が交代で執筆する連載も多い(たとえば政治コラムは毎号掲載されるが、国会議員秘書・ジャーナリスト・大学教授・新聞記者の4者が交代で執筆している)。このため、毎号必ずお気に入りの執筆者の文章が読めるとは限らず、このことが定期購読を躊躇して書店買いをする読者を増やす遠因にもなっている。

最終的には韓国の日刊市民新聞『ハンギョレ』と同じく日刊化を目指している。創刊当初5万部だった部数は、現在3万部(うち定期購読2万部)。

内容・論調 [編集]「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」(ジョン・アクトンの言葉)という前提にたち、「だから監視が必要であり、そのためにジャーナリズムは存在する」という思想を体現した誌面を特徴とする。したがって、与党や政府や財界など体制を批判する記事が多い。近隣諸国の中では日本の政財界と深い関係を持つアメリカ合衆国を批判する記事が目立つが、チェチェン紛争などに絡むロシアの人権問題や覇権主義、「人体の不思議展」の疑惑など中国の人権問題、中国共産党の独裁と腐敗に言及した記事も少なくなく、“敵か、味方か”の二分的な思考に囚われず、強権的・タカ派な政権には厳しい姿勢を貫くのが基本的な論調といえる。

日本の左派政党や左派市民団体関係者がしばしば寄稿していることもあり、日本や韓国の左派勢力に対しては好意的な論評が目立つが社会民主党支持者を読者に多く抱えるということもあって、日本共産党や朝日新聞などを批判する記事も少なからずあり、批判対象を限定しているというわけではない。日本の民主党に対する批判も以前から散見されたが、民主党政権発足後は批判しつつも、自民党政権に比べ相対的に評価し、政策提言を行う記事が増えている(とはいえ、あくまで民主党は保守政党であるという認識である)。改憲問題や北朝鮮への経済制裁については、批判的記事が多い。

左派色が薄い、あるいは市民運動と距離を置いている人物に記事を書かせたり、対談などに登場させたりすると、少なからず読者から批判が寄せられるという(特に亀井静香、城内実など、保守系、右翼系とされる人物)。最近では反米左派と反米右派の共闘として、西部邁や小林よしのりらが誌上に登場することもあった。2005年の第44回総選挙での野党大敗後は、民主党などを含む保守・右翼勢力との共闘を肯定する記事が増え、たとえば以前は批判していた小沢一郎を、一定程度評価するようになった。こうした方向転換に、左派からの反発が強まっている。2008年の創刊15周年集会では、ポスターにドラクロワの「民衆を導く自由の女神」の旗を日の丸に置き換えたパロディを用いたが、日の丸を肯定的に用いたことに強い批判が寄せられた。金光翔はこうした『週刊金曜日』の姿勢を、改憲に迎合して国家主義、排外主義色を強めていると批判している[3]。国家主義者を自称し、反北朝鮮・親イスラエルを標榜する佐藤優の起用にも、金を始めとする批判が少なくない。

また、天皇制廃止論の立場からの論説が多いのも特徴で、右派はもちろん、天皇に好意的な左派、あるいは天皇や皇族自身の言動も批判対象にしばしばされる。2009年2月、「チャンネル桜」の取材に北村肇編集長が天皇制容認の見解を示し[4]、この発言は、天皇制廃止論者らからも批判を受けた[5][4]。小林よしのりがかつて「よしりん仮面」と題して短期連載した際には苦情が相次いだ。

2009年4月8日、「貧困とテロ、クーデター」と題する『月刊日本』との共同講演会を開催した[6]。派遣切りなどの貧困労働者問題を中心に論じたものである。これも、左派からの批判を受けている。

販売方法 [編集]創刊当初は、日本の大都市中心のごく一部の書店売りを別にすれば、1年分や2年分の雑誌料金を前納する購読方法しか選択肢はなかった。環境問題への配慮から、郵送する雑誌は包装せずに、表紙と裏表紙を接着剤で張り合わせた“袋とじ”状態のまま投函されるため、表紙には耐水紙を採用している。現在のように店頭で扱う書店が増えたのは1990年代の終わりごろからである(書店に並ぶ雑誌は袋とじではない)。ただし、増えたとはいえ扱いのある書店は一部である。また、前納制の定期購読の場合、中途解約しても返金には応じない方針が不評だったため、購読料を月単位で指定口座から自動引き落としにする定期購読コースも新設された(この場合の購読料金は定価となる)。

このほか、部数が低迷しているのは知名度が低いからであるとして、多くの人に読んでもらうことを目的に、公立図書館に定期購読してもらうよう読者に呼びかけ始めたのは2000年代に入ってからである。ただ、利用者が少ないことを理由に購読をやめる図書館も散見される(予算削減で購読続行出来ないのをこれに託けた館もあり)。この現状に対し、図書館が所蔵する『週刊金曜日』をもっと借りるよう読者に促す意見が投書欄に掲載されたりもした。

その他 [編集] 集会内容に対する問題 [編集] この節は過剰な加筆が行われ、読みにくくなっています。あまり重要ではない事項を細かく解説することは、むしろ閲覧者の理解を妨げ関心を損ないます。これ以上の内容の増大は歓迎されません。内容の削減をこちらで検討しています。このタグは2008年3月に貼り付けられました。

2006年11月19日、日比谷公会堂で教育基本法改正反対などを訴える集会「ちょっと待った! 教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」を主催する。参加者は本多勝一、佐高信、永六輔、中山千夏、矢崎泰久、石倉直樹(劇団「他言無用」団員)。なお筑紫哲也、姜尚中も参加予定であったが、欠席している。

この集会の模様が『週刊新潮』2006年12月7日号「特集悠仁親王は『猿』のぬいぐるみ! 『陛下のガン』も笑いのネタにした『皇室中傷』芝居」で報じられた。それによると、集会では永六輔が「君が代」をアメリカの国歌「星条旗」のメロディーで歌う、「皇室の中傷」と指摘されるコント(悠仁親王を「猿のぬいぐるみ」に見立て「こんな子い〜らない」と放り投げる、以前前立腺癌を患った天皇を笑いのネタにする、など)が演じられるなど、内容としては集会の趣旨から大幅に脱線したものであり、またそれ以前にあまりにも思慮に欠けた内容であるとの批判が集まった。実際、反皇室のスタンスを取る人たちからも批判が寄せられており、保守の立場の人たちだけが批判をしたわけではない。

この集会の司会を務めた佐高は、このコントについて『週刊新潮』の取材に対し、「劇中で『皇室』なんて一言も言っていない」「それは受け取る側の見方だからこちらがコメントする理由はない」と述べている。しかし劇中、皇后美智子と思しき女性に扮した劇団「他言無用」団員の石倉を「この会場のすぐ近く、千代田区1丁目1番地(=皇居)にお住まいの方」と佐高自身が紹介しており、また石倉扮するこの女性が皇室典範の話題を取り上げて悠仁親王について触れていることから、このコントが出演者を皇室の人間に見立てて演じられたものであるとの指摘が多かった。後日、この劇団は多くの批判を受け、ホームページ上に「皇室をパロディーとした寸劇を上演」したことに対する謝罪文を掲載していることから、皇室をコントのネタに使った[7]ことが明らかとなった[1]。もっとも、皇室あるいは王室をネタにしたパロディやコントはイギリスのモンティ・パイソンなど、国によってはかなりおおっぴらに行われているところもあるが、他人の子供を「こんな子供はいらない」と投げ捨てたり、猿にさせたり、病気を揶揄するという行為そのものが、皇室であるかどうかにかかわらず、日頃から「人権」を唱えている人々の集まりでありながら、矛盾した行為を行った点について作曲家のすぎやまこういちなど識者から批判の声があがった[8]。

またこの集会の内容が『週刊新潮』にて報道された直後より、「皇室を侮辱した集会」として保守系団体などから電話による抗議等が殺到。本社周辺などで街宣活動が行われた。抗議に対し、同誌では佐高信発行人および北村肇編集長名にて「(上のコントは)人権及びプライバシー上、一部の表現に行きすぎや不適切な言動があったことで、誤解や不快の念を生じさせてしまいました。集会主催者として配慮を欠いたことを率直に反省しおわびするとともに、今後開催する集会等の運営には十分に留意をしてまいります」との見解を示し、誌面上で謝罪・反省の記事を掲載した。

12月2日に産経新聞がコラムとして報じ、12月7日の新潮の記事はネットに全文転載された。転載したのは主催者を批判する目的で、新潮を支持する立場の者が主であった。記事が誰でも読める状態になったため、かえって発売日の売り上げが落ちてしまい、新潮社側は「弁護士とも相談して法的な対応を相談したい」[9]と表明した。

この間、『週刊金曜日』や他言無用などに右翼・市民団体から抗議が殺到していた。ネット上の集会批判については『週刊金曜日』主催「ちょっと待った!教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」まとめに詳しい。

また、『創』編集長の篠田博之は『北海道新聞』12月6日号・12月13日号のコラムで取り上げた。匿名の『東京新聞』12月18日のコラムでも、篠田とほぼ同様の視点で報じた。その内容は「その集会に参加したことがない人間」が憶測で書いたもので、「寸劇は超ウケしたはず」と書き、その割に寸劇の内容にはほとんど言及せず(篠田は永六輔については、国家とは何か、君が代とは何かといった自分なりの洞察を語ったあとで、それを考える素材として件のパフォーマンスを行ったと反論)、右翼団体の抗議活動などに焦点を当て、その後の当劇団の公演が中止になったことに対して批判する内容であった。

なお、新潮は、同集会で皇太子夫妻(徳仁親王と雅子妃)をどう扱ったかについては触れていない。ただし、『週刊新潮』は皇太子夫妻への批判や揶揄をたびたび記事にしている[10]。

元編集者による「暴露」記事 [編集]『新潮45』2000年12月号に「私が見た反権力雑誌『週刊金曜日』の悲惨な内幕」という記事を、元編集部員の西野浩史が執筆。この中で、西野は自身が実際に体験したり、内部で聞いた話として証言している。

「井上ひさしの編集委員降板は公に同誌が発表した理由ではなく、同誌には本多勝一が大江健三郎を強く批判する記事を載せていたため、大江と関係が深い井上が苦境に陥ったためだった。」
これは、大江が文春に関係する賞の審査員をやめた理由を「公に発表したものと違う(保守的な文春への抗議)」とマスコミにリークしたことを「偽善」と攻撃した本多の過去の言動とも矛盾する
「本多勝一はジャーナリスト木村愛二の「ホロコースト否定論」に興味を持ち、積極的にその否定論を掲載しようと準備。同じくホロコースト否定論者の西岡昌紀の集会に「編集長代理」を出席させようとした。」
「Mデスク(退社)に反対されて最終的には載らなかったが、それに対しても本多は「編集長が副編集長に折れることがリベラルなのか」と不満を抱きつづけた」
「編集部内でセクハラ騒動があった」
「社内で労組が結成されたところ、リベラル雑誌を発行する同社の経営陣は非常に組合を敵視し続けた」
外務省美術品紛失疑惑記事 [編集]2007年5月25日発売号にて「スクープ 外務省に新疑惑 日本大使館から名画や陶磁器など4年半で98点が消えた!?」との記事を掲載。報道記者がその記事を元に当時外務大臣であった麻生太郎に対し「そのような記事が書かれているが本当か」との質問をすると麻生は、「ああ、それ週刊金曜日だったな。週刊金曜日なんて読むんだ。あんなの誰が読んでいるのかと思っていたが、あなたみたいな人が読むのね。紛失してないから。ちゃんと裏とって質問しないとみっともないことになりますよ」と記者へ述べ、否定した[11][12]。また、外務省もホームページにて『配置換えをしただけで週刊金曜日が指摘した美術品は実際にあり、また経年劣化等により廃棄処分としたもので、「消えた」とする記事の内容は事実ではない』と否定した[13]。しかしその後、この件に関する鈴木宗男による国会での質問により、外務省が密に調査をしたところ、日本画『潮の舞』の1点のみが見当たらないことが判明した[14]。なお、他の97点については外務省が発表した通り廃棄処分、もしくは配置換えとなっていた。

沿革 [編集]1993年、編集委員が中心となり、読者から出資を募る形で創刊された。これは、経営者の(広告主への配慮という)編集方針により原稿をボツにされることが度々あった本多をはじめとするジャーナリストの経験を踏まえ、「広告に依存しない自由なメディアを作りたい」という動機によるものである[15]。そのため誌面に広告が少ない(思想傾向を同じくする出版社の広告がほとんど)、週刊誌にしては価格がやや割高である。創刊当初には、部数が増えたら価格の引き下げを検討するとのことだったが、今日まで価格は500円のまま一度も変わらない[16]。

1993年7月-10月、創刊準備号として『月刊金曜日』という名称の月刊誌を発行。編集委員は石牟礼道子、井上ひさし、久野収、筑紫哲也、本多勝一。『月刊金曜日』は、7月号から10月号まで計4号発行される。初代編集長・発行人は和多田進。
1993年11月、創刊。創刊号より椎名誠が編集委員に参加。
1994年-1995年、社内不祥事による和多田の急な辞任により、編集長・発行人は本多が引き継ぐ。この後、石牟礼と井上が編集委員を辞任。本多の編集後記のよると、石牟礼はもともと金曜日創刊の最初の段階だけ手伝うという約束で編集委員を引き受けていたという。これに対し井上は、(路線の対立かどうかは定かではないが)本多が編集長に就任して以降、誌上に登場することはほとんどなくなっていた。その後、佐高信と落合恵子が編集委員に参加。
1995年-1997年、編集長は本多
1996年、副編集長(デスク)として松尾信之が入社
1997-2001年、編集長は松尾信之
2001年、編集長は松尾からデスクの黒川宣之に交代。発行人は本多から黒川に交代。
1999年、久野収死去。
2000年、辛淑玉が編集委員に参加。
2000年-2002年、編集長が朝日新聞OBの岡田幹治に交代。同性愛者に関する掲載記事の表現が誌上で論争となり、辛が編集委員を辞任。
2004年、編集長が岡田から元『サンデー毎日』編集長の北村肇に交代。
2005年、石坂啓が編集委員に参加。また外部のライターが時事通信と共同通信の配信記事を盗用していた件で同年10月4日に両社に文書で謝罪した。黒川、2期6年の任期満了で発行人を退任(再々任を認めない社の方針に従う)。後任に佐高。
2007年12月、椎名誠が編集委員を辞任。雨宮処凛が編集委員に参加。
2008年11月、筑紫哲也死去。
2009年1月、宇都宮健児、中島岳志、田中優子が編集委員に参加。
2010年10月、佐高が発行人を退任し、北村が新発行人に就任。編集長には前副編集長の平井康嗣が就任。
編集委員 [編集] 現任編集委員 [編集]本多勝一
佐高信
落合恵子
石坂啓
雨宮処凛
宇都宮健児
田中優子
中島岳志
過去の編集委員 [編集]石牟礼道子
井上ひさし
久野収
椎名誠
筑紫哲也
辛淑玉
歴代編集長 [編集]和多田進(発行人も兼任・晩聲社社長)
本多勝一(発行人も兼任・元朝日新聞社会部員のジャーナリスト)
黒川宣之(元朝日新聞経済部員) 先代発行人
松尾信之(元『日刊ゲンダイ』ニュース部長・元『日刊アスカ』編集長)
岡田幹治(元朝日新聞経済部員)
北村肇(新聞労連兼毎日労組元委員長・元『サンデー毎日』編集長)
平井康嗣(初の生え抜き編集長) 現編集長
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by seikouudokunohito | 2012-03-20 09:49 | 読書案内 | Comments(0)

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